雲が重く感じられる、そんな空模様だった。
 男が一人、もみじを踏みながら歩いている。歳は四十前後といったところか。身なりから武士であろう事は容易に読み取れた。
 男が顔をあげる。紅葉に赤く染め上げられた山と、その山の上にそびえ立つ立派な城が彼の視界に入った。
「見事なものだ」
 自身の主君、石田三成に過ぎたるものと渾名されるのもうなずける。男はつくづく思った。
 この男、牧野伊予守成里が近江の石田三成に仕えてからそろそろ二年が経とうとしていた。その間、佐和山の城は毎日のように見てきたが、それでもなお、あるじの一九万石という身代に不釣合いな威容が成里を圧倒させた。
「伊予守殿」
 そんなことを考えていた成里に声をかける者があった。知らない声ではない。
「島殿でござるか」
 成里が振り返って言った。石田家の家老、島左近が笑顔で立っている。成里より十ほど年上であろうか。髪に白いものが雑じっている。しかし、体躯は成里よりも立派であると言えた。
かつて言葉もまともに話せないほどに幼い時分から筒井順慶に従い、梟雄として知られる松永弾正と幾度も争った島左近は、名将として天下に知られていた。三成がそんな左近を俸禄の半分を差し出して迎え入れたという話は有名で、成里も知っていた。
成里もまた、猛者として知られた男である。
以前、成里は長谷川秀一という大名に仕えていた。朝鮮の役が起こると、長谷川秀一に従い、海を越えた地での戦に参加した。
しかし、その戦の最中、長谷川秀一が病死してしまう。あるじを失った長谷川軍をどうするか、秀吉は考えた。
――牧野伝蔵(成里の通称)に任せるのがよかろう――
 秀吉は長谷川軍の指揮権を成里に与えるよう命じた。成里は見事に戦い抜き、秀吉を喜ばせたのである。
 成里や左近に限った話ではなく、石田三成の臣には武辺の者が多かった。
「大筒の扱いはいかがですか、伊予守殿」
 左近が成里に訊いた。佐和山に来てからの成里の仕事は主に、足軽たちに大筒の教練を施すことであった。
「さすがに足軽どもも慣れてきたようです。いくさになれば佐和山の大筒、天晴れなりと諸将が噂することでしょう」
 成里は笑って答えた。
 まだ成里が三成に仕えて間もない頃の話である。
三成は大筒を購入し、それを誰に任せるか決めかねて左近に相談した。
――大筒ならば伊予守殿が適任でしょう――
左近は三成にそう答えた。朝鮮の役で大筒を使ったことがあったと話に聞いていたので、何も知らない者よりは、と思い成里を推したのだという。
 少し考えてから三成は、
――左近が言うのなら間違いないだろう――
そう言って左近の言を容れ、成里に大筒を任せることに決めた。成里は二年近く大筒に携わっていることになる。
 成里が三成に仕えて意外に思ったことがある。それは、三成が思ったより素直である、ということであった。
 三成は自信家で、横柄な性格として有名であった。この話より後のことであるが、懇意であった大谷刑部にさえ、
――お前は平懐者だから皆に嫌われている――
と指摘されるほどであった。
 しかし、評定では三成は左近の意見には従うことが多かった。左近だけではなく、どの家臣の意見でも否定するということがあまりなかった。
「殿は」
歩きながら左近が口を開いた。
「殿は、聡いお方です。政にかけては天下第一だと言ってもよいでしょう」
 左近はそう言った。成里は左近の横顔を見ながら、
「はあ」
 と少し間の抜けた声を出した。
「ですが、鈍感です。じっくり考えれば正しい答えが出せますが、とっさに判断するとなると大抵碌なことになりません。お茶を汲みに行く時間があれば、相手にぬるいお茶を出せば良いと考えることができますが、すぐに受け答えするとなるとそれほど気が利きませぬ。そのようなお方です」
 三成はもともと観音寺の寺小姓であった。鷹狩りの最中、喉が渇いた秀吉が観音寺に立ち寄り、茶を三度所望した。三成ははじめにぬるい茶を差し出し、続いてやや熱くした茶を差し出し、最後に熱い茶を差し出した。喉の渇きが潤うにつれ、茶の味を楽しませようという三成の心遣いであった。
――この小僧をくれぬか――
 秀吉は観音寺に申し入れた。いつか役に立つだろうと考えたのだろう。
 三成は秀吉を政治面で補佐した。のちに豊臣政権と呼ばれる秀吉の時代は、三成の才覚が政治の面で有効にはたらいたことによって組み立てられたと言っても過言ではない。三成は秀吉のもとで、秀吉の天下のために考えに考え抜き、大方それはうまくいった。
「だからそれがしや伊予守殿のような、いくさ慣れした者を欲しがるのでしょうな」
「ああ」
 成里は左近が言わんとしていることがわかった。いくさにあっては臨機応変に物事を判断する必要がある。
 じっくりと物事を考える三成には、そういった能力が欠けていた。計画を練りあげ、それに従って行動することにかけてはおそらく天下でも一等の人物であろう。しかし、その計画にこだわりすぎる部分があった。
「忍城が良い例です。それがしもあの場にいたので、殿だけを悪者にはできませぬが……」
秀吉が天下統一最後の仕上げとして北条の本拠地である小田原城を囲んだときのことである。このとき三成は武蔵国にある忍城という城の攻略を命じられた。
三成はこの忍城を攻略するために水攻めを考案、利根川や荒川の水を引き入れるために長大な堤を築いた。しかし、この水攻めはあまり効果がなく、逆に増水のために堤が決壊して石田方に死者が出る有様だった。三成のこだわりが生んだ失敗といえる。
 左近も忍城攻略に三成家臣として従軍していた。はじめこそ力攻めよりは水攻めのほうが良いだろうと思って何も言わなかったが、工事が進むにつれて水攻めの欠点が見えてきた。
「堤を作るのに時間がかかります。その時間と引き換えにできるほどの効果が出るとは考えにくかった。それから、堤の工事でかなりの兵が疲れてしまい、ろくに戦おうとしなかったのです」
 左近は三成に水攻めを中止するよう進言したが、容れられなかった。
――もう水攻めをすると決めたのだから、工事を今更やめるわけにはいかない――
そう三成は言った。それを聞いた左近は内心肩をすくめながら引き下がった。
結局、忍城は北条の本拠地である小田原城が開城するまで耐え抜いた。三成にとって不名誉な結果となったのである。
 しかし、三成が戦に暗かったかといえばそうでもない。
朝鮮の役でのこと、日本勢は異国の地で軍を展開し、兵站線が崩壊しかけるほどだった。そのためか、日本勢は明軍に敗れ、一度奪取した平壌を明軍に奪い返されてしまった。勢いに乗った明軍は漢城(現在のソウル)目指して侵攻した。
日本勢の危機であった。
このとき、三成は諸将に一度漢城(今のソウル)に集結して戦うように説いて回った。その結果、李如松率いる明軍を碧蹄館で破り、朝鮮半島における拠点を守りきることに成功したのである。
「冷静に物事を見れば的確な判断が下せる。私の助言も、じっくり考えるだけの余裕があれば反対なさいませぬ。しかし……」
左近が言いかけた言葉を成里が続けた。
「そんな余裕もなくなったら、殿はまた忍城攻めのようになってしまう、と?」
 左近はこたえなかった。
 佐和山の紅葉が美しかった。灰色の空は、むしろ紅葉を引き立てるのに役立っているではないか、成里はそう思った。
「島殿」
 しばらくの沈黙の後、成里が口を開いた。
「貴殿は何故殿の誘いを受けられたのですか。左近殿ほどの侍ならば、二万石より大口の誘いもあったでござろう」
 左近が歩みを止めた。しかし、こちらを見ようとはしなかった。
「殿はとても真面目なお方です」
 それは成里も同意だった。
「とても聡いお方であるにも関わらず、ものごとは正しいことで動くと本気で信じている。まるで童のようなお方だ。伊予守殿、面白いと思いませぬか」
 成里は首をかしげた。何が面白いというのか。
「拙者にはわかりませぬ」
 成里の返事をきいた左近は、また歩き出した。成里がそれに続いた。
 曇天のため気づかなかったが、どうやら陽はかなり傾いてきているようだった。空がうっすらと暗くなり始めた。
「童は親に護られつつ、いつか丈夫になる。しかし、殿は童のまま丈夫となり、しかも佐和山一九万石の大名になられた」
「殿を童扱いでござるか」
 少し前を歩いている左近の表情が、わからない。
「童を護るには親が必要でしょう」
 そう言ったきり、左近は黙ってしまった。成里もまた、その後は何も言わなかった。

 少し日が経ち、三成が左近を館へと招いた。
 昼過ぎから夕刻になるまでいくつか話をしていたが、左近はその間、四度厠へと立った。
「何か悪いものでも食べたのか」
三成が左近に訊いた。
「朝から食べたものといえば、柿くらいなものです。ひょっとしたら柿は痰に障るのかも知れませぬな」
 左近が冗談半分に言った。
「そうか、ならば柿には気をつけるとしよう」
 三成は大真面目に左近に答えた。その声が、左近には幼く感じられた。

ていじま りすな様より戴きました

 戻る

inserted by FC2 system