逃れ得ないお遊戯

「左近」
その日、左近に猫なで声と共に近づいてきたのは、珍しい事に兼続だった。
『あまり近づいて欲しくない』と左近は思った。
この主の親友は、奇人として有名なのである。そして、どことなく主の三成に似ている箇所があるのを、敏感な左近は感じていた。
それだけ理解していて、接近を許した左近にも責がある。三成がもし同じように近づいてきたら、左近は全力で逃げる。碌でもない事しか考えていないからだ。
「なんですかい、兼続さん」
にこにこと、見た目だけは愛想の良い笑いを浮かべて、兼続は左近に近寄る。そして左近の胸元の襟から、いきなり手を突っ込んだ。
「な!?」
跳びずさる左近に「逃げるな」と、相変わらずの笑顔を浮かべた兼続は言った。
「逃げたら、その符、取ってはやらぬぞ」
左近は慌てて胸元を探る。その素肌の胸に、ぴたりと一枚の符がくっついていた。剥がそうと爪を立てるが、剥がれるどころか、傷ひとつ付かない。
「……なにをしたんです」
「いやなに。いつも親友の面倒を見てくれている左近への労いに、ひとつ術を施しただけだ」
人懐っこい笑顔のままの兼続の発言に、左近は怖気が走った。
「なんです。術って」
「左近が皆から好かれるようになる術だ。前に私が御前から受けたのを改良してな。他人の、特に同性の好意を倍増させる」
あはは、と兼続が声を出して笑う。
「よかったな。左近。男共にもみくちゃにされるぞ」
「冗談じゃない。早く取ってくださいよ!」
「さて。どうしようかな?私はまだそういう気分ではないな~」
けらけらと、楽しそうに笑う兼続。
「しかしこれだけじゃあ、左近が可哀想だな。これをやろう」
そう言う兼続から、札の束を渡された。
「好意を通常に戻す札だ。今、私が付けているように、相手の素肌に貼れば、その者への術の効果は切れる」
兼続は、ちらりと胸元を覗かせた。確かに、一枚の札が貼ってある。
「兼続さん。ひとつ訊きますけど、なんでこんな事を?」
「理由がいるか?そうさなぁ」
兼続は、しばし考えこんだ。
「私は三成が好きだから、三成に全幅の信頼を寄せられているお前が妬ましくなった。というのはどうかな」
「嘘でしょう」
「嘘ではない。それが全てではないが」
左近はひきつった口だけの笑みを浮かべる。
「この、気狂いが」
兼続は罵言に答えず、ただ「あはは」と笑った。
「さて、そろそろかな」
何が、と左近が問うより先に、廊下を歩く足音がする。はたはたと神経質な足音。三成だ。
「左近」
襖が開けられる。三成は、左近と兼続という意外な取り合わせに少しだけ戸惑ったようだが、左近におずおずと話掛けてきた。
「左近……」
消え入るような小さな声で、三成が呟く。
「なんですか、殿」
「俺は、お前が好きだ」
臆面なく言う三成に、左近は苦笑する。どうやら、術符は正常に機能しているようだ。普段の三成なら、人前でこのような言葉は言わない。
俯いた三成に左近は近づく。『早く解呪の札を貼ろう』と、何気なく歩みを進める。
その次の瞬間、視界が逆転した。
「……え?」
背に衝撃が走る。三成の顔が近い。
左近は、三成に押し倒されて馬乗りされている状態になっていた。
「左近……」
三成の熱い吐息が頬に掛かる。熱に潤んだ瞳が近づく。
「左近、好きだ」
「ちょ、待ってください」
左近は慌てて解呪の札を三成の素肌に貼ろうと、三成の胸元をまさぐった。滑らかな皮膚が触れる。
「積極的だな、左近」
うっとりとした表情の三成に、唇を寄せられる。
『間に合え!』と左近は素早く札を三成の胸へ貼り付けた。
軽く、触れる温かい口唇。
「……」
三成は、しばし呆然と左近の顔を覗き込んでいたが、ふと我に返ったように身を起こした。
「左近……好きだ?」
何故か疑問形の三成は、今の状況を把握しきれていないようだ。
「ああ、はい」
「好きと言ったか、俺は」
「ええ」
左近が答えると、三成は顔を茹で蛸のように赤く染めた。
「いや、違うのだ、左近……いや違わないが、その」
三成は珍しく慌てているようで、挙動不審に手をぶんぶんと振り回した。
「はいはい。分かりましたから、殿は俺の上からおりてください」
「違うのだ、本当に」
涙目の三成は、急に立ち上がると、そのまま駆けていってしまった。
「あ~あ~。三成を泣かしたな、左近。いけないなぁ、主君を泣かすなど」
兼続が他人事のように言うものだから、左近はひく、と左近の頬がひきつる。
「誰のせいだ」
「術符のせいだな」
しれっとして言ってのける兼続に、左近は久し振りに『本気で殴りたい』という気持ちが沸き起こった。
左近は部屋に籠る事にした。幸いな事に、三成以外に左近に好意を持っている男が思い浮かばなかった。
兼続を追い出して、念のためいつでも手にとれるように解呪の札を手元に置く。襖にはつっかえ棒をし、誰も入ってこれないようにする。
「ふぅ……これで安心」
ガタガタッ
襖が、大きく揺すられる。
「な……一体誰が?」
襖を揺する誰かは、しばらく乱暴に揺すっていたが、諦めたように動きが止まった。
次の瞬間。
ドガコッ
襖が吹っ飛んだ。
「え……?」
襖の残骸が、ぱらぱらと左近の上に降りかかってくる。
その残骸を乗り越えて左近に歩み寄ってきたのは……
「左近殿」
「幸、村」
普段着に槍を携えた幸村だった。
「こんにちは、左近殿!」
超が付く程の爽やかな笑顔で、幸村は挨拶してきた。
「こんにちは。幸村、なにか俺に用ですかい」
「いえ、大した事ではないのです」
そう言うと、幸村はいきなり槍を左近目掛けて突いてきた。慌てて回避する左近の着物の裾が破ける。
「避けないでください。傷つけはしませんから。多分」
「多分ってなんだ!?」
「狙っているのは着物だけですから、左近殿が動かなければ大丈夫です。多分」
次々と繰り出される槍先から、左近は転がって避け続ける。
ぜいぜいと苦しい息の下から、左近は幸村に向かって言う。
「なんで、こんな事……」
「貴方が悪いのですよ。貴方の事を思い浮かべると、苛々というか、むかむかというか……」
ざす、と槍が左近の袖を縫い留める。
「ぶっちゃけた話、犯したくなります」
あくまで真顔の幸村は、冗談を言っているようには見えなかった。絶望的な状況だった。
「はっはっは。幸村は情熱的だな!」
破壊された襖の所から、兼続が顔を出している。
「他人事のように言わないでくれますか?大体あんたのせいで……」
「左近殿。他の男に色目を使わないでください」
ざす、と幸村が懐から出した小刀が、左近の首筋の真横に刺さる。
「無理、もう無理!」
「そうか~残念だな。先程から、稲殿も訪れているのだが」
左近は一瞬考えた。
「あの……この場だけ助けてくれたら、少しは兼続さんの事を見直してもいいかなぁって思うんですが、どうですかい?」
「仕方ないなぁ」
兼続は満面の笑みで、幸村の肩を叩いた。
「幸村」
「はい?なんですか、兼続殿。私は忙しいのですが」
「脱いでくれ」
「えっ!?」
兼続の突然の発言に、幸村は頬を染めた。
「その、恥ずかしいです……左近殿もいる前で……」
急にしおらしくなる幸村。なんだ、この甘ったるい雰囲気は。
「いいではないか。見せつけてやれ」
兼続が、幸村の頬に手を添える。ぴくり、と幸村が震える。
「私だけ、というのも良いがな。どうせなら見せびらかしたいのだよ……」
囁く兼続に、幸村はもじもじとしながらも上衣の襟に手をかけた。
「……じゃあ、ちょっとだけ」
幸村が上衣を脱いだ。
すかさず、左近が解呪の札を幸村の背中に貼る。
「あ、あれ?」
幸村は、周囲を見回した。
「ははは、どうした幸村」
「え……私、なにを?」
「左近を強姦しようとしていた」
幸村が左近に視線を向ける。思わずびくりと反応してしまう左近の様子に、幸村は真っ青になった。
「ち、違うんです!私は……」
「ふ~ん。私は別にいいぞ。幸村と左近が盛っていても。面白いものが見られる」
兼続がにこにこと笑っている。
「ちが、違います!うわ~!」
そのまま走っていってしまう幸村。
「おや、幸村も泣かせてしまった。罪作りな男だな、左近」
「あんたのせいでしょう。なにがしたいんだ、あんたは」
「なにって……」
兼続が、刺さった小刀を抜く。そのまま、左近の残った衣服をゆっくりと切り裂く。
「いい格好だな?左近」
「どうも」
ぴりぴりと裂かれていく衣服。上半身はほぼ襤褸屑のようになっている。
そこに。
「ふ、不埒です!」
高い女性の声が響いた。
「稲殿か」
「おや、お嬢さん。遅い御出でで」
最早用をなしていない襖の陰から、稲姫が覗いていた。
「と、殿方同士でなにをなさっておいでなのですか!?」
「いやあ。なんでしょうね。こっちが訊きたい位ですよ」
「すまないな、お嬢さん。見苦しいものを見せて」
「見苦しいなど……その、」
ぽっと稲姫は顔を赤くする。
「素敵な胸筋……と、ちらりと見える腹筋に掛けての線が、とても素敵です。父上の次に」
「どうも」
左近が片手をあげると、ぽぽぽ、と稲姫は更に真っ赤になった。術符は女性の稲姫にも効いているらしい。その様子を見て、左近は兼続に耳打ちする。
「兼続さん、異性にだけ効く術符ってぇのは作れないんですかい?」
「作れるけど不義だろう。そんなもの」
「この術符も十分不義だと思いますがね」
「あの……よろしいでしょうか?」
稲姫が声を振り絞って、二人の会話を遮る。
「あの、今日伺ったのは他でもなく。左近殿をお招きしたくまかりこしたのです。どうか、御出でください」
ずい、と足を進めて、稲姫は左近に迫る。左近は肩を竦める。
「悪いが、身を固める気はないんでね。それに、お嬢さんの父君に斬られちゃかなわない」
「いえ、我が本多家に、ではありません」
左近は眉を顰める。
「と、いうと?」
「我が殿が、左近様に是非ともご足労願いたい、と」
「家康さんが……?」
「はい」
左近は兼続を見遣った。
「これも……」
「術符の効果だな。はっはっは、もてもてだな、左近」
「いや、流石にこれは」
だす、だす、
重量感のある足音が、廊下を渡ってくる音が聞こえる。
「左近殿、いらっしゃるか!この家康、直にお目見え致したく馳せ参じましたぞ!」
襖から顔を出したのは、まごうことなく当代の大大名、徳川家康だった。その顔は高潮し、少年のようにきらきらと瞳が輝いていた。
左近は流石に辟易した。
「ちょ、これどうするんですか?」
「狸を討てば?」
「なに言ってるんですかい!この状況下では拙いですよ!」
「さあさあ、御出でくだされ。いや、この場でも構わぬ。是非、信玄公の軍略について語り明かしましょうぞ!」
どっかりと座り込んだ家康とその側に控えた稲姫に、左近は諸手をあげた。
「降参。こうさ~ん。兼続さん、お願いですから助けてください」
「そうか。左近が降参か。ははは」
「笑ってないで、どうにかしてくださいよ」
「なら、一言だけ言ってくれないか」
「なにを」
兼続は、左近の耳元にそっと耳打ちした。
その言の葉を聞いた時、左近は驚いた。驚いた後、溜息を吐いて、苦笑した。
「やれやれ、そんな回りくどい所がうちの殿と似てるんですよ」
「言うのか、言わないのか?」
「言いますよ」
左近は、兼続の耳元で囁いた。
「……、」
ぼそり、と言ったその言葉は、兼続以外の誰にも聞こえなかった。
兼続は俯いてその言葉を聴いていたが、不意に左近の胸を鷲掴んだ。思いっきり爪を立てる。
「あたた、」
ばり、と少しばかりの皮膚と共に、術符が破けて剥がれた。
「む……」
「はっ!」
家康と稲姫は、顔を見合わせた。
「これは、なんたる事か……確かに島左近とは一度語り合ってみたい、とは思っていたが、碌に供も連れず、事前に面会の約束も取らぬまま訪れるとは。儂とした事が失態よ」
「殿、急ぎご帰宅を」
「うむ」
稲姫の言葉に、家康は重苦しく頷いた。そして、今度は左近の方へ頭をさげた。
「この度は大変失礼を致した。島殿」
「いえいえ。全部このひねくれ者の所為ですから、家康さんはお気になさらず」
「うむ……」
「次には俺の方から、その首をいただきに参上するかもしれませんが、その時はよろしく」
「ふむ、重々承知致した。いつでも参られよ」
家康はもう一度頭をさげると、立ち上がり襖の残骸を踏み越えて去っていった。その後を、稲姫が付き従う。稲姫は、ちょっとだけ振り向いた。その目には敵愾心が籠もっていて、先程までの甘い物は感じられなかった。
部屋には、残骸と共に左近と兼続の二人が残された。
「やれやれ、って感じですね」
左近が溜息を吐いた。
「私もそろそろ失敬する。ではな」
「ちょっと待った」
立ち去ろうとする兼続の腕を取る。兼続は左近を振り返って睨んだ。
「なんだ」
「此処までしておいて、逃げるのはなしですよ」
「片付けを手伝え、と」
「俺の心のね」
「……」
兼続は無表情で黙り込んだ。
「俺からしてみりゃ、兼続さんもうちの殿と一緒ですよ。餓鬼なのにひねこびてて、普段は義だの愛だの言ってるくせに、その言葉の意味をなんにも分かっちゃいない」
「……だからどうした」
「いえね。だから教えて差し上げようかと」
兼続は、横に首を振った。
「……お前は、三成の物だろう。私は三成が好きだから、三成の好きな者は好きだ。だから、お前も好きだ。しかし、愛ではない。その位は分かる。ただ、一度位言わせてみたかっただけだ」
「そうやって、誤魔化して生きてるんですね。難儀な御仁ですな」
「誤魔化してなどいない。もう帰る」
兼続が掴まれた腕を振って左近の手を引き離そうとしている。その様子が、駄々を捏ねている子供のようにしか見えなかった。
「そういう所が、うちの殿と似てて放っておけないんですよ」
左近は手を離さない。兼続は今度は左近の指を引き剥がそうともがいている。
兼続の顔は、無愛想に口を突き出して不満を訴えている。三成も、左近と二人きりの時はよくやる表情だ。
「本当、似た者同士ですね」
「むう」と兼続がむくれた。
「三成と私は同志だが、私は似ているとは思わない」
「似てますよ」
「どこが」
「子供な辺りが」
からかい気味の笑いを送ってやると、兼続は更にむくれた。
『なんだ、案外可愛い所もある』
考えてみれば、三成と兼続は同い年なのだ。似ている部分があって当然だろう。
そうこうしているうちに、廊下からまた足音が聞こえる。
「左近、さっきはすまん」
「左近殿~……あの~、生きていますか?」
三成と幸村が顔を出した。それと同時に阿鼻叫喚の悲鳴があがる。
「なんでお二方が手を繋いでいるんですか!?羨ましい!」
「なんだ、何故、左近と兼続が仲良くしている」
驚く二人に、兼続は既にいつもの調子に戻っていた。呵呵大笑して、大声を出す。
「三成、左近が離してくれぬのだ!全く、人気者は辛いな」
「なにが人気者だ。俺の左近にずるいぞ!もう片方の左近の腕は俺の物だ!」
三成が左近の空いた片方の腕を取り、ぶんぶんと振り回す。
「じゃあ、兼続殿のもう片方の腕は私が」
幸村が遠慮がちに兼続の片手を握る。
「あ、これだと私が三成と手を握れないではないか!腕が三本にならないかなぁ。出ろ、三本目の腕!」
「止めろ。お前が言うと、本当になんか変なのが湧いて出る!」
「じゃあ私が三成殿のもう片方の手を握る方向で」
「よし来い。幸村」
「あ!ずるい!不義!」
ぎゃいぎゃいと輪になって手を繋いで騒ぐ三人を見て、左近は微笑した。と、次の瞬間、左近はへくしょっ、とくしゃみをした。ほぼ半裸の状態である事を忘れていたのだった。
「殿、左近は風邪を引きそうなので、これにて……」
「分かった。身体で暖めてやる」
「それでは私も気概を示そう」
「私もお手伝いします!」
「そこは似なくていいです……」
左近は半ば諦めの溜息を吐いた。そして、ちらりと隣の兼続を見ると、目が合った。
そこで、声に出さないように口唇だけでひっそりと、先程の言葉を繰り返して見せた。兼続は目を丸くした。そのつい出てしまったというような子供っぽい表情に、左近はくっくっ、と笑った。
「ったく、子供みたいなお遊戯も、たまにはいいもんですね。珍しい物が見れた」
その左近の言葉に、三成と幸村は顔を不審気に見合わせた。兼続だけは、ちょっとだけ左近を睨んで、そして仄かに頬を染めて俯いた。

11.11.09

39成様より戴きました

 戻る

inserted by FC2 system