熱病

左近は酒が好きだ。
勝ち戦の祝い酒や、廓で女に注がれる酒も堪らないが、本当は一人でちびちびやるのが一番好きだ。
しかし、今夜のこの酒も、なかなか悪くない。
なにせ目の前には、とびきりの美人が座っている。この人には珍しい、崩れた横座りがしどけなく、酔いで火照った頬を手で扇ぐその様は、虞美人草の花開いたような風情がある。
左近の主人の、石田三成だった。
酒に誘ったのは三成の方からだった。
「兼続から酒をもらった」
そう左近に言ってきた。
「俺一人では飲みきれん。かといって捨てるわけにもいかん。
よってお前が処理しろ、今日」
「今日ですか?」
「今夜なら俺も時間が空いている」
そう聞いて訝しげな顔をする左近を、睨みつけて、
「……いちおう、俺がもらったのだ。一口くらい飲まぬと悪かろう。
後で、俺の部屋に来い」
それだけ言い捨てて、三成はさっさと去ってしまった。
ふぅん、と左近は考えた。
三成は酒を好む性質ではない。
下戸なので、盃に注がれた酒をちびちびと舐めるように飲む。それでも駄目らしく、酔った三成を左近が介抱するようなこともしばしばだ。だから、酒宴などに呼ばれると、飲んだふりだけして済ましていることが多い。
そうでありながら、三成は自分から酒に呼んだ。酒の席にかこつけて、なにか話があるのだろう。それも、内々の。 そう思って三成の酒に付き合っていた左近だが、いつまで経っても用件を切り出さない三成に、いい加減焦れるものを感じた。
「それにしても、殿が酔うまで飲むなんて珍しいですねぇ。なにかおありでしたか?」
そう左近から水を向けてやる。
「たまには俺とて飲む」
三成は乗ってこない。が、身体がふらりとよろめく。
「おっと」
左近が腕を伸ばして受け止めると、寄りかかる格好になった三成は、そのまま体重を預けてくる。
「……飲みすぎですよ」
苦笑いながら、軽く背をさすってやる。
ぼそり、と三成が小さく呟いた。「お前のせいだ」と。
「どうしたんです?左近に御用でしたら、いつでも伺いますよ?」
「……気付いていたのだろう、最初から。お前はそういう奴だ」
「さて。用件の内容までは」
「ふん……」
三成は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、手を伸ばして左近の髪を撫でる。
「左近、何故髪を伸ばしている?どうせどこぞの女のためだろう」
「それが用件ですか?ここまでお膳立てしていて、そんな話ではないでしょう」
「いいから答えろ」
ぐいっと髪を引っ張る三成。
「はいはい。そうですな……昔のことなので忘れてしまいましたねぇ」
「ふざけるな」
更に三成は髪を強く引く。酔っているので手加減がない。
「止めてくださいって。あ~そういえば、髪を切らない理由はありますよ。
代わりと言っちゃぁなんですが、それを話すんで、どうです?」
「言ってみろ」
「俺のこの髪を気に入っている人がいましてね。その人のためです」
それを聞いて、三成は酷く傷ついた顔になった。
「……そうか」
「どこの誰だか気になりませんか」
「もうよい」
三成は腕を突っ張って、左近を突き放そうとする。それを無理やりに抱きとめる。
「離せ」
「その人はとんでもない意地っ張りでしてね」
その言葉を聞いて、三成の腕から力が抜けた。
「言いたい事があっても、口では何にも言ってくれりゃしないんですよ。そんな時は、俺の髪を触ったり引っ張ったり、じゃれついてくるんです。
よっぽど気に入ってるんでしょうが、流石の俺でも言って貰わなきゃあ分からない事だってあるんですよ?」
そう言いながら、三成の目を覗き込む。ゆらゆらと、酔いに潤んだ瞳が揺れる。
「お前は何でも分かっているのだと思っていた」
「左近も人ですから」
「そうか」
三成はそう言ったきり、また黙って髪を指で弄び始める。
「ほら、言葉にしてくださいよ」
左近はあやす様に背を撫でる。それを不快そうに鼻を鳴らすところなど、まるっきり愚図る子供のようで笑ってしまう。
それがいけなかった。
前にも増した力で、髪を引かれる。思わず寄った顔に、三成の口唇が触れた。
それはとても口付けと呼べるような代物ではなかった。苛立った感情そのままに、噛み付いたのが偶々口唇の位置だったというような。甘噛ですらない食い千切るような痛みに、左近は眉を顰めた。
それでも、すぐに離れていこうとする三成の唇の熱を追うように動こうとしていた自らに気が付いて、思わず自嘲に頬を歪める。
「それが用件ですか。全く……自分が何をしたか分かってるんですか?」
「ああ」
「おいたが過ぎますよ。俺が本気で惚れちまったら、どうするんですか」
「……不愉快だ」
不服そうな呟きが洩れる。
「まだ惚れていないのか。不愉快だ。さっさと惚れろ、左近」
「なに言ってるんですか」
「言わなければ分からないこともある、と言ったのはお前だ左近。……そうだろう?」
三成は漸くそれを口に出した。先程まで胡乱な態度は微塵もない。口付けに、左近が誘われたのを確信したからだろう。全く性質が悪い。
「御下知どおりに」
それが癪に障るので、そんなひねくれた言い方しかできなかった。
「よし。褒賞をくれてやろう」
愉快そうに目を細めた三成が、顔を近づけてきたのを見ながらぼんやりと左近は思った。
自分は熱病に罹ってしまった。治す気すら起こらないのだからどうしようもない。これはきっと不治の病なのだから、諦めるしかないのだろう。
熱を孕んだ吐息がかかる。柔らかく這い回る舌ごと、左近はその蝕みを受け入れることにした。


09.2.1

39成様より戴きました

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