しんしんと雪の降る音がする。
 冷気とともに灰色の空から舞い降りる六花は色褪せた冬枯れの景色を埋めつくして辺りを白く染め上げた。

「寒い」
 飽く事なく庭を眺めていた左近の背中に投げ掛けられたのは、振り向かなくても子供のようなしかめっ面が容易に想像できる主の不機嫌な声。
「そうですねぇ…ここ最近いやに冷えると思いましたが、こりゃいよいよ冬篭りの支度をせにゃなりませんなぁ」
 襖の隙間から流れ込む刺すような寒気を気にした風もなくのんびりと答えれば、今度はぽすりと背中に軽い衝撃。
 痛くはない。 が、執務に耽る彼の手元に何か投げられるようなものはあっただろうか。いぶかしげな顔で左近がようやくのそりと振り返ると、足元には左近が差し入れた小さな蜜柑が転がっている。
「……殿、行儀が悪いですよ」
「さっさと閉めろ、せっかく温めた部屋が台なしになるだろうが」
 窘める声は華麗に聞き流し、股座に火鉢を抱え込んだままむっつりと文机にむかう三成は蜜柑を投げつけて空いた手をゆっくりと火にかざした。その間も右手は流暢に文字を綴っている。
 公人としての彼ならば、食い物を人に投げつけることも、股火鉢で文机に向かうようなことも考えられないのだが、品行方正を絵に描いたような佐和山城主は存外この一番家老の前では理性の箍が緩むらしい。
 それだけ気を許している証なのだろうが、左近としては主従というより我侭な子供を見ているような気分になる。

「だいたい雪などろくでもない。 物の行き来は鈍る、農作業は出来ん、体は冷える。 喜ぶのは犬と童と左近くらいのものだ」
 子供のように思っていた三成に逆に犬や子供と同列に断定されてしまった。 抗議したい所だが、実際どこか子供のような浮き浮きとした気持ちで雪空を眺めていたのは事実なので否定も出来ない。
「だいたいお前には年相応の落ち着きというものが足りんのだ。 やれ流行りの楽器だの若い女を見ればすぐ口説きにかかるのと、大概にしないと妻子が泣くぞ」
 わずかに反応に躊躇った左近に構うことなく、普段やり込められている反動か三成はここぞとばかりに皮肉めいた事を言いだした。 左近としては、そこで三成が悋気をおこしてはくれないのかと言いたいが、彼にそういう情緒を求めても無駄だろう。
 そもそも自分達の関係を思うとあまり家庭のことには口を出されたくないのだが、こうしてさらりと口に出してしまえる当たり、案外三成の方が割り切っているのかもしれない。 単純に彼が無神経なだけかもしれないが、このまま耳の痛い話に突入されても困るので、左近はまだ物言いたげな三成を遮って水を向ける。
「殿は、冬がお嫌いですかね」
「好きになる理由がない」
 あっさりと話題に乗ってくれたことにほっとしつつ、いかにも彼らしい理屈っぽい答えに苦笑する。 何事にもいちいち理由を求めるのは彼の悪い癖だ。
「左近は雪の朝のきりっとした空気とか好きですよ。それに綺麗じゃないですか、雪景色」
「綺麗で政はできぬ」
 予想はしていたが、やはり彼の頭は第一に仕事を基準に回っているらしい。 その政務に関する情熱の何分の一かでも自分への気遣いに向けてはくれないだろうかと、益体もない思いが左近の脳裏を掠める。
 即座にらしくもないと自嘲して、殿は本当に風流とは無縁ですなと嘆息した。
「どうせおれは野暮天だ」
 ぷう、と頬を膨らませる仕草が稚くて、思わずちょいと突いたらまた蜜柑を振りかぶられたので、おどけた様子で慌てて両手を上げて降参の意を伝える。
 直向きで、一つのことに集中するあまり器用になれない、そんな彼を好いているのだ。彼はこのままでいい。
「ま、政は大切ですが“御霊の殖ゆ”ともいいますでしょ」
「みたまのふゆ?」
 真面目な声音で切り出した左近に興味を引かれたのか、三成は続けろと目で促した。
 知識欲は旺盛で、どれだけ戯れ合っていてもこちらがふと真剣な調子になると、三成も一瞬で人一倍熱心な弟子の顔になる。 彼は自分に知識を授けてくれる者に対してはとても真摯だ。 そして、左近もまた彼に自分の知識を伝えてゆけることがこの上なく嬉しい。

 しかし、残念ながら今回は彼が望むような大層な答えを用意していない。言葉自体は大和にいた頃春日大社の宮司にでも聞いたような気がするが細部は忘れてしまった。
 結局左近は主の手元から筆を取り上げると、そのまま冷たい手を両の手でそっと包んだ。
「冬は冷たい雪の下で、生命と魂が殖えて春を待つ大事な季節です」
 実りを迎えるためにはゆっくり休む時も必要ですよ、と付け加えると、三成は苦々しい顔をした。
「……結局俺から仕事を取り上げたかっただけか。 どんな話かと期待して損をした」
「殿が仕事熱心なのは心得てますが……たまには左近の相手もして下さいよ」
 笑いながらそう告げると今度は三成が苦笑する番だった。
「先の言葉を撤回する。 お前は童よりよほど質が悪い」
 今頃気付いたんですか、と悪い笑みで嘯くと、こつんと頭を小突かれる。
 執務を妨害するなど余人がすれば叱責ものの行動だが、左近だからこそ三成は笑いながら受け入れる。そこまで急を要する案件でもなかったのだろうが、存外自分は愛されているなと左近は自分の頬が緩むのを感じた。
「しかし、こう寒くてはかなわんな」
「寒いのだってそう悪いことばかりじゃありませんよ」
 怪訝そうに眉を寄せる三成に、左近はにこりと微笑んだ。
「身を寄せて暖をとる口実ができる」
 抱き寄せて、ちゅと白い首筋に口づけを一つ。 そのまま低い声音で温めてさしあげましょうか?と囁けば、一瞬で顔が赤くなった。
 事に触れて引っ付いてくる躾の悪い家臣に対し、欝陶しい、むさ苦しいと文句は言っても、決して離れろとは言わないことを左近はよく知っている。
 その事を揶揄すると、今度は照れくさそうに外方を向かれてしまった。
「か、勘違いするな、行火の代わりに使ってやっているだけだ!」
「随分なおっしゃりようですねぇ」
 童、犬ときて今度は行火扱いととうとう無機物になってしまった。まったく照れ隠しにしても可愛くない。 どうやりこめようか考える左近の視線に気がついたのか、三成は少し焦ったように続けた。
「この火鉢もそろそろ炭が尽きる。あとはお前しかおらぬ……なんとかしろ」
 ああ、なるほどそうくるか。
 こんな時くらい素直に甘えればいいのに、と心中で苦笑しつつ、彼なりの不器用なご機嫌取りに思わず笑みが零れた。
 親子のような、師弟のような、悪友のような。一言では言い表せない自分達の関係がくすぐったくてとても愛しい。
 では、ご用命にお答えしてそんな関係のもう少し先へ。

「殿が望むのならば」

 冬の語源=殖ゆを唱えたのは折口だったか柳田だったか。
 左近の軍旗は八幡様だしきっと日本紀くらい読んでるだろう。

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