「殿、四月馬鹿ってご存知ですか?」
「しがつ……?なんだそれは」
 三成は書状に走らせていた筆を止めて左近を振り返る。
 半ば文机に齧りつく様にして書類仕事に明け暮れる三成の傍らで、 左近はそれを手伝うでもなく座して蛇皮線をかき鳴らしていた。
 主人があくせく書き物をして、家臣がその傍らで遊び呆けているなど到底まともな光景ではないが、 当の主人がそれを許容しているのだから始末が悪い。
 初めのうちこそ左近も多忙な三成を気遣って出来るだけ仕事を肩代わりしたり、 無理矢理休息を取らせたりしていたのだが、 そういう事をすると彼はかえって更なる仕事を探してきてでも始めてしまう。
 中途半端な横槍を入れるくらいなら何もしない方がいい事に気がついてからは、 根を詰めすぎないように様子をそれとなく伺う程度にとどめていた。
 唐突な話題の提供は、彼に小休止を促すためのものだ。
「なんでも今日は伴天連の祝日で、害のない嘘をついて人を揶揄う日なんだそうですよ」
「……説明を聞いても意味がわからんな」
 そうですねぇ、と同意して左近はいつもの仕草で顎を擦る。
 異国の風習の意味などに興味はないし、強いて理解をしたいとも思わないが、 当座の慰みくらいにはなる。 三成の意識を仕事から引き離せるなら会話の内容自体はどうでもいいのだ。
「まぁそんなわけなんで良かったら殿もどうぞ」
 何か面白い嘘をついてみてくださいよ、と人を食ったような笑みを浮かべてみせる。
「いきなり嘘をつけといわれてハイそうですかと出てくるか。無駄口を叩く暇があるならお前も働け」
「いいじゃないですかァ、少しは左近とも遊んでくださいよン」
 四十絡みの男がつくる可愛くもない科が可笑しかったのか、三成はぷっと吹き出して珍しく素直に筆を置いた。
「本っ当にお前はどうしようもないな」
 政務をする気のない筆頭家老を置いておく物好きなんて俺くらいのものだぞ、と 半ば自嘲とも揶揄とも取れる調子で苦笑すると、左近に向き直って居住まいを正す。
「……では、嘘を言うぞ」
 すぅ、と重大事を告げるように深く息まで吸って、三成は神妙な顔つきでこう告げた。
「俺はお前を心底慕わしく思っている」
「へ?」
「精悍な面魂やふとした仕草に現れる色気だとかそういうものも好ましい。 そうだな、特に声が好きだ。  低く声を潜めて囁く言葉など…」
「ちょ、ちょ、殿!」
 淀みなく告白を続ける三成に仕掛けた左近のほうが狼狽する。 この主ならばきっと突拍子のないことを言ってくれるだろうとは思っていたが、あまりにも予想外の方向から攻め込まれて流石に戸惑った。 そして何より。
「……それ、全部嘘なんですか?」
「さぁな。 だがお前が言えというから俺は確かに嘘をついたぞ。 気が済んだなら仕事を手伝え」
 左近の眼前にどさりと紙束を置いて、三成は先の左近に負けず劣らずの人の悪い笑みを浮かべる。
「どうせお前のことだから“半端に俺の仕事を横取っては機嫌を損ねる”とか 適当なことを考えて自分の不労を正当化しているのだろう?  俺は必要に迫られているからこなしているだけで、好き好んで仕事の虫というわけではないのだよ」
 案外性格に心の内を読まれている事に感心しつつ、逆らう言葉を口にできる状況でもなさそうなので 左近は大人しく蛇皮線を置くと部屋の隅にあった机を引き寄せた。
「そういえば、左近は何か嘘を言わないのか」
 三成は書簡の山の一つを切り崩すと、そのままどさりと無造作に左近の文机に置く。
「さぞや面白い嘘を吐いてくれるんだろうな?」
「そうですねぇ、色々考えてはみたんですが、大事な殿に嘘なんて吐けないっていう結論になりました」
 空いた手を取ってへらりと笑って見せたが、三成はすげなくそれを払うと眉一つ動かさずにもといた場所に帰った。
「成程、そういう嘘なのだな」
「え、いやいや切なる本心ですよ」
「それも嘘、と」
「……殿」
 反論を封殺されて左近が苦りきった表情をすると、三成は意地の悪い顔でからからと笑った。
「お遊びでも悪意がなくても、嘘など許容すればいずれ何も信じられなくなるのだ。 だからお前はどんな時でも俺に忠実でいろ」
 他の誰に欺かれても構わないがお前の嘘だけは聞きたくない、と。 それは不器用な三成の本心からの言葉だった。
 他愛ない戯れの合間に真摯な告白が聞けたことはとても嬉しい。 嬉しいのだが、普段滅多に口にしない自分への恋情を嘘として告げられ、自分の真心は切捨てられたのでは流石の左近も応えるものがある。
「殿、さっきの告白本当にみんな嘘なんですか?」
「そんな飯を取上げられた犬のような顔をするな。だから俺はちゃんと言っただろう、“嘘を言うぞ”と」
 言うなりさっと書面を見入るように顔を伏せられてしまったので表情は読めなかったが、鳶色の髪の間から覗く耳がほのかに赤いのが真実の在処を物語っている。
 成程、これは一本取られた。 顔がにやけるのを止められない、と左近は面映く思った。
「では、さっさと仕事を片付けて真相を究明するとしますか」
「ああ、どんどんやれ。 ちょっとやそっとではなくならないだけの量があるし、俺も口を割る気はない」
 お得意の軍略で聞き出して見せろと挑戦的な眼差しで微笑まれて、左近はとりあえず目の前の書簡の山を片付けるべく腕まくりをしたのだった。

殿はクーデレ

 戻る

inserted by FC2 system